生活

熊本地震被災者が伝えたい当時と現状

熊本地震で被災した立野地区とは

地形

熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野地区は阿蘇山のカルデラを囲む外輪山が唯一切れた火口瀬と呼ばれる急急傾斜の山腹にあります。熊本と大分、宮崎をつなぐ鉄道や国道の要所でもありました。

歴史

立野地区は急傾斜の土地ですから、田畑を潤すほどの水はありませんでした。1658年肥後藩の家老長岡監物の主導によりより阿蘇山を源流にして熊本平野を通り有明海に流れる、白川の上流黒川から井出(人口の川)を掘り水を引いてきました。

これによりこの地は棚田ではありますが水田耕作ができるようになりました。この工事をしたのが肥後藩の下級武士たちでそのまま立野に住み着くことになりました。1914年この井出の水を九州電力に使わせる(水利権の貸与)ということで、黒川第1発電所が出来ました。この水力発電所は、3キロ先から水を引くだけで250メートルの落差が生まれ、当時では全国1の発電量でした。

住民

立野地区は3つの行政区からなり、360世帯、880人が住んでいました。熊本市まで近いということもあり、専業農家は少なくほとんどが勤めに出ながら食べるだけの米を作るそんな人ばかりでした。この地も,他の中山間地と同じく若い人は外に出て、残るのは老人ばかりです。震災前の高齢化率は44パーセントでした。2011年立野小学校が生徒不足で廃校になり、限界集落が近いことを思い知らされていました。

被災

2016年4月14日夜9時に発生した、震度7の地震はそれこそ余震にすぎませんでした。翌日は棚から落ちたものを片付けながら、被害が少なかったことを喜んでいました。その夜、日付が変わった午前2時ごろ再び襲われた地震は7度強、地面が引き裂かれ、あるいは山が崩れたような地響を立て、縦に横に大きく揺れました。

古く大きな2階建ての我が家は柱がきしみ、屋根の瓦が落ちる音、ガラスが割れる音、物が落ちる音、家具が倒れる音、雑多な音と、立って居れないほどの揺れに「死ぬかもしれない」と覚悟しました。何分揺れたのでしょうか、少し収まったので外に出てみました。家財道具が転がり割れたガラスの中を手さぐりで脱出です。

玄関のドアは動きませんでしたがベランダのサッシが開いていました。まだ暗い中でしたが、瓦が落ち屋根には穴があいているようでした。

閉めていたはずのサッシの窓が開き、ブロック塀が倒れていました。我が家の庭には大きな亀裂が入り、石垣も一部崩壊していました。まだ数分おきに余震は続いていました。

「ここにいては危ない」広いところに避難しなければと思いましたが、我が家の下の道は一部が崩れおち、下のお宅のブロック塀が倒れ、通ることができません。私達は明るくなるまで庭から動くことができませんでした。

そのうち、東の山の方から、ザーと水が流れる音がしてきました。「九州電力の貯水槽が壊れたな!」と理解しました。明るくなった時、地元の庭師さんが小小さな重機を持ってきて道を車が通るだけ片づけてくれました。

おかげでようやく、着替えや毛布などのわずかな寝具、洗面道具等を運び出し旧立野小学校へ避難することが出来ました。

熊本地震被害状況

地域の被害

明るくなるといろんな情報が届くようになりました。国土57号線が山崩れで1キロほど無くなった。国道325号線にかかる阿蘇大橋が落下した。九州電力の水槽が壊れ、大量の水が集落に流れ下り二人の人が亡くなった。

JR豊肥線が土石流に流され通れなくなった。民営化された高森線もトンネルとか鉄橋が壊れたなどのインフラが大きな被害を受けたことがわかりました。また地震はこの地区だけでなく、日奈久断層に沿って、南阿蘇村、西原村、益城町、熊本市などにも大きな被害を及ばしていました。

我家の被害

我家の被害の判定は半壊でしたが、私たちは長期非難を強いられ、屋根にブルーシートを張るなどの処置ができませんでした。被災した翌々日から雨が降り、我が家は壊れた屋根から雨が降りこみました。

1か月ぐらいたって1時帰宅が許されたとき我が家を覗くと、落下した道具や倒れた電気製品、割れたガラス、ゆがんで動かない建具、すでに畳にはキノコが生えていました。そのうえ臭くて、この家を直して住むことはあきらめました。家屋の被害が半壊以上の家は、公費で解体してもらえることになりました。

熊本地震の避難状況

車中避難

私は、とりあえず「広いところが安全では」と思い小学校の校庭に逃げました。集落の皆さんもほとんど逃げてきました。この小学校は8年前に廃校になっていましたから、教室も使うことができたのですが、まだ余震が続き「室内は怖い」ということで校庭の車の中で過ごしていました。

2日目からボランティアによる炊き出しが始まりました。避難10日目の朝、その日は大雨が降るという予報が発せられ、この小学校も危険ということで、熊本県警の機動隊が何台ものバスでやってきて、小学校に避難している人はもちろん、自宅にいた人も強制的に地区外に出されました。

「今どき基本的人権を無視したような強制的移住が許されるものか?」とも思いましたが、行政にしてみれば命にかかわる大事、仕方なかったのかもしれません。

隣町の体育館の避難

私たちはとなりの菊池郡大津町の本田技研熊本工場の体育館に連れてこられました。この体育館も屋根が壊れていましたので、フイットネスルームに押し込められました。狭い部屋に100人が寝るのですから、窮屈ではありました。

それでも久しぶりに手足を伸ばして寝ることができました。ここでもボランティアにより炊き出しが行われました。しかし夏に向かい食中毒の心配があるということで、途中からから弁当の支給に代わりました。

避難所の運営

避難生活をスムーズに行うために、「避難所運営委員会」を設立しました。私たちは、避難所運営の目標を「病人を出さない!」と「もめ事を起こさせない」の2点に絞りました。まず、心身の健康維持のために、毎朝6時半のラジオ体操を実施、次に誰でも何時でもコーヒーを飲みながら会話が出来るサロンを作りました。もめ事を起こさせないためには、2つだけルールを作りました。

1つは、就眠時間を午後10時に決め、消燈これ以降電話や会話の禁止ときめました。もう1つは、冷房の温度を26に固定し、場所により寒く感じる人は衣類などで調整していただくことにしました。そしてこのルールは、口頭と、避難所のホールの壁新聞で周知しました。避難所生活は4カ月に及びましたが、多くの人に助けられながら、大過なく運営が出来たと思います。

まずは自分たちも被災者でありながら、私達のため寝る間もなく面倒を見ていただいた行政の皆さん。施設を貸していただいた「ホンダ技研」、お風呂を沸かしていただいた「全日空」炊き出しや芸能人を連れてきてくれた「えがお」、その他多くの企業のみなさま。県内外の医師は私たちが咳一つしても飛んできて面倒を見ていただき病気する暇もありませんでした。

何よりボランティ「南阿蘇よみがえり隊」の皆さんには、避難所運営だけでなく残した家のお世話までしていただきました。全国から多くの人に義援金や支援の物資を送っていただき、多くの人がお見舞いや励ましに来ていただきました。

避難生活は不自由なことも多いのですが、驚いたことにお年寄りが驚くほどに元気になられたのです。いま田舎といえども、どのお宅も玄関は施錠され、用が無ければ訪ねられない、面倒な社会になってしまいました。

避難所ではいつでも手の届くところに誰かいるわけだから話をしなければなりません。話をすることにより、口元にほほ笑みが浮かび、いつか大声で笑い、そのうち元気になられたようです。「この避難所は明るい」といわれるようになりました。

そして共同生活をする仲間と云う新たな絆のようなものが生まれたのです。避難所生活最後の夜は、お別れと、支援していただいた皆様に感謝する夏祭りを実行しましたが、全国から130着の浴衣を送っていただきました。

8月12日避難所を閉鎖し、元気で立野に帰ろうね」を合言葉にして仮設住宅への新たな出発をすることが出来ました

熊本地震の仮設住宅

建設型仮設住宅

建設型仮設住宅とは、国有地などの遊休地や、民間の土地を借りた広大な土地にプレハブの住宅をまとめてつくるものです。熊本県では
7200棟の仮設住宅が作られました。南阿蘇村でも400棟の仮設住宅が村内外に作られました。私たち立野地区の住民用は、立野地区は危険な長期非難地域に指定されていたので隣の大津町に2か所(113棟)作られました。

仮設住宅は狭くはありますがプライバシーが保たれ、また、ペットも同居できるのでそれは楽になりました。
何より、行政の目も手も届き、必要な情報がスムーズに届きました。また全国から義援金や支援の物資が大量に届きました。

借り上げ型仮設住宅(みなし仮設)

借り上げ型仮設住宅とは民間のアパートなど
賃貸物件を行政が借り上げて被災者を住まわせるというものです。被災者は自分の好きな場所、気に入った間取りの家に住むことができます。特に老人にとっては買い物や通院に便利なところを選択できます。しかし行政の手は届きにくく、またボランティアの支援もほとんど届きません

比較

建設型仮設住宅を1棟作るのに約500万円必要です。この他に借地料や、エアコンやシンクなどレンジなど標準の設備代もかかると思われます。その点借り上げ型は毎月の家賃だけで済むのですから、仮に2年仮設に避難したとしてもおよそ150万円で済みます。何より空き家対策など民間の活力を生かすことになります。国は借り上げ型仮設住宅を推進すべきだと思います。

長期避難の解除

2017年10月31日私たちの長期避難指示は解除されました。これにより、自宅の被害が軽く少しの手直しで住める人は帰ることができるようになりました。しかし多くの人は、それから新たな住居の再建に取り掛からなければならなかったのです。

2018年に完成予定の、村内に建設される災害公営住宅に入居を希望される人。村内外に新築される人、中古の住宅を求める人など、様々ですが皆さんはまだ仮設住宅から出ることはできませんでした。村に帰った人は1割に過ぎませんでした。

災害公営住宅

立野地区には44世帯分の災害公営住宅が建てられました。しかし入居したのは33世でした。村としては人口を減らしたくないという思いですが、立野地区は急傾斜の地形でほとんどが土砂災害危険地域なのです。

熊大の先生は「立野は人が住むところではない」とまで言い切りました。この住宅に入居するには当然家賃を払わなければならないのですが、ほとんどが年金暮らしの高齢者、とりあえずの家賃は計算できますが3年後には値上げが予定されています。

過疎の僻地で車に乗れなくなった高齢者はどうっやって生活するのか5年後が心配です。災害公営住宅間取りもいろいろですが、平均2300万円ぐらい建設費かかかっているようです。入居しているのは、80歳以上の高齢者ばかり、10年先には、全棟が空き家になることが見えています。

リバースモーゲージ利用に住宅取得

私は熊本県が推奨したこのリバースモーゲージなる制度を使って熊本市内に中古のマンションを購入しました。

この制度は購入費用の6割を貸してもらい、その返済は利子だけというものです。

そして利子補給分として最初に100万円が支給されるのです。私の場合750万円の借り入れをして毎月17000円の利子を払うわけですが、すでに6年分ぐらいは貰っていることになります。借りている750万円の返済は私でなく息子でもよいのです。

息子が「不要」といえば私が売り払って返済してもよいし。死んだときに一括返済すればよいことになっています。

つまり今後の支払いや、処分の選択肢が多い住宅取得だと思います。何より、買い物にも病院も近くある場所で、雨が降ろうが台風が来ようが用が何の心配もないマンション生活は快適です。しかしこの制度には手続きに高いハードルがありました。

息子のローンで新築

立野の被災者はほとんどが後期高齢者です。だから住宅ローンは組めません。そこで息子さんのローンで新築される人がおられました。
被災前と同じ2世帯住宅ですが、今度は所有権者が違います。

両親は与えられた部屋以外の部屋や設備を使うのにとても気を遣うそうです。悲しいことですが近年高齢者の立場が弱くなり、高齢者虐待などの社会問題が気がかりです。

住民の絆

私たちはおかげさまで被災から3年それぞれに終の棲家を手に入れることができました。
しかし、小さな集落で歴史と文化を繋ぎ、先祖代々仲良く生きてきた住民はこの地震のおかげでバラバラになってしまいました。立野地区はもう限界集落に近い状態でしたが、この地震はそれを加速させました。

今生きている者だけでも絆を壊したくないと思うのです。
しかし行政は住民票により仕分けをしてしまいます。私たちはまだ立野に土地もあり山も持っています。当然に固定資産税は払い続けなければなりません。また春と秋に行われる地区の共同作業(水路や道の修繕)には出かけ参加しなければなりません。

村も他所に出た人を同じ待遇はできないでしょうが、例えば敬老会には招待するなどの配慮があればと思います。

絆をつなぐ活動

私たちは住民登録の場はバラバラになったけど、せめて自分たちが生きている間は同じ集落の仲間という関係を保ちたいと、集いをしています。行政の支援は貰えないので自分たちのお金で毎週月曜日健康クラブ(震災前からしていた集い)のパークゴルフをしています。

また2か月に1回ですが、お寺を核にして「お寺座」なる集いを開き、簡単な工作をしながらランチをいただく、ささやかな催しです。この集いにはお寺の寄せられた義援金を使わせてもらっています。

熊本地震の復興の今

今、南阿蘇村は復興の槌音高く活況を呈しています。集落内の壊れた石垣はすべてブロックで積み替えられています。またこの際だからと壊れた道は拡幅されています。当然崩れた山は砂防工事か施されています。しかし、ここに住む人はほとんどいません。

裏山につながる道は、昔牛を放牧し、秋には刈り干切をして冬のために草を運ぶための道でしたが、すでに牛はいなくなり誰も裏山に行く人はいません。10年後には誰もいなくなる集落の道や、誰も住まない敷地の石垣を直すことが復興なのでしょうか?

政府は復興に必要な費用を23年から5年間で19兆円と試算したから安心といいます。おかげで私たちは考えられる支援と復興をすべてしてもらって感謝しなければなりません。しかしいかにも無駄と思える工事も行われています。

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